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湯河原町の城願寺は約九百年前、この地(相模土肥郷)の豪族土肥次郎實平が、萬年の世までも家運が栄えるように「萬年山」と号して持仏堂を整えたことからその歴史は始まる。鎌倉時代後期には五山十刹につぐ寺格である諸山に指定され、西相模地方では指折りの禅刹だったと伝えられる。その後衰退していたが、南北朝時代に土肥氏の末裔の土肥兵衛入道が、清拙正澄(大鑑禅師)の弟子の禅僧雲林清深を開山に招請して再興。もと密教寺院だったものを臨済宗に改め、清拙正澄を勧請開山(名目上の開山)とした。やがて土肥氏が失脚し、小田原大森氏の時代になると再び衰退するが、戦国時代に大州梵守-大永5年1525年卒-(早川村海蔵寺三世、肥田山保善院三世)が再興、曹洞宗に改宗し現在に至る。

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合同供養塔(永代供養墓)

お墓を管理する家族や子孫(後継者)がなくとも任せられるのが「合同供養塔・合祀墓」や「永代供養」というかたちです。城願寺の合同供養塔「寂靜塔」は、木々や季節の草花に囲まれた埋葬施設の中心に建立されています。お墓参り出来ない人に代わって、或いは墓参される方々がおられなくなっても、寺と、又この「塔・ストゥーパ」にそれぞれに想いを寄せられる「有縁」の皆様によって、永く祀ってゆかれます。納骨は、壺のまま個別に十三回忌まで(或いはご希望により三十三回忌まで)安置され、それ以降は合祀壺にお移しいたします。
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