土肥一族

土肥 実平(どひ さねひら / どい – )は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。桓武平氏良文流中村宗平の次男。小早川氏の祖とされる。

相模国の有力豪族中村氏の一族で、足下郡(現在の神奈川県足柄下郡湯河原町および真鶴町)土肥郷を本拠とし早川庄預所を勤め、父や弟の土屋宗遠と共に相模国南西部において「中村党」と称される有力な武士団を形成していた。


土肥実平 遠平像(湯河原町指定文化財)

 
「土肥次郎實平、弥太郎遠平」父子の木造座像。實平像・高さ47センチ(一尺五寸五分)、遠平像・高さ43センチ(一尺四寸二分)。両雄の人格がよく面貌に表れているといわれている。室町時代(15世紀)、家臣・坪正の佳作と伝えられる。
 

土肥 遠平(どひ とおひら)は、土肥実平の嫡男。平安時代後期から鎌倉時代にかけての武将、鎌倉幕府御家人。 小早川氏の祖。建久十年の頼朝逝去により仏門に入り道慶と号した。小田原城の元は、小早川遠平の居館であったとされる。

土肥一族の墓

 
城願寺本堂左方の 土肥次郎実平(實平)一族の墓所 には、66基の 墓石 があり、嘉元2年(1304)7月の銘のある五層の鎌倉様式の 重層塔 や、永和元年(1375)6月の銘のある 宝筺印塔 をはじめ、塔身が球形をした 五輪塔 などの各種の墓型がそろっています。 このように一墓所に各種の墓型がそろっているのが見られるのは、関東地方ではめずらしく貴重なものです。