両皇子殿下御臨幸記念之松碑



 1913年(大正2年)3月2日、避寒勉学で、大正天皇の二人の皇子が城願寺に歴史の勉強に来られた。のちに昭和天皇となられた迪宮裕仁(みちのみやひろひと)親王(12歳)と、秩父宮となられた淳宮雍仁(あつのみややすひと)親王(11歳)のお二人である。源頼朝・土肥実平らの平家追討旗挙げ出陣の地として土肥一族墓地、土肥実平手植えのビャクシンを見学された。
 当時、今の湯河原「万葉公園」を所有していて、別荘と庭園を夏目漱石や東郷平八郎をはじめとする温泉療養者の健康回復に「養生園」と名付けて公開していた、大倉製陶ノリタケ・TOTO等の実業家、大倉孫兵衛・和親父子の別荘に宿泊されていた。
 城願寺の本堂、向かって左前に御手植えの松が大きく生長していたが、1953年(昭和28年)1月4日の秩父宮の病死を契機として、4月4日にこの由来碑が建立された。残念ながら、松も1988年(昭和63年)に松食い虫被害により枯れてしまった。