本堂

本堂

 
御本尊をまつるところです。城願寺の本堂がいつごろ建てられたか定かではありませんが、少なくとも関東大震災をくぐり抜けてきた建物です。昭和36年に茅葺きの屋根が銅板に吹き替えられています。

 

ご本尊

 
聖観世音菩薩

 


寺院が禅宗に改宗する場合には、以前の本尊をそのまま受け継いでも構わないとされることも多く、或いは創建時そのままの御本尊様かもしれません。

開山堂・位牌堂

 
曹洞宗に改まってからの中興開山、大州(洲)梵守大和尚一躯、中央の厨子の中に鎮座まします。右には城願寺歴代住職の御位牌を祀ります。

 

開山堂の両序は檀信徒の各家先祖累代の御位牌棚となります。
 
井上三綱画伯の「天女の舞姿大絵巻」、矢部友衛画伯の「南瓜の絵」、点描のアーチスト加藤芳信氏の10枚の「仏画」など、108枚に及ぶ格天井絵画

 

天井の天女の絵は、井上三綱という大変有名な方が書かれた絵です。三綱が戦時中に寺に逗留していて、勝手に屋根に書いてしまった。時の住職は、最初怒ったそうですが、有名な画家だと聞いて後で喜んだようです。

土肥実平 遠平像(湯河原町指定文化財)

 
「土肥次郎實平、弥太郎遠平」父子の木造座像。實平像・高さ47センチ(一尺五寸五分)、遠平像・高さ43センチ(一尺四寸二分)。両雄の人格がよく面貌に表れているといわれている。室町時代(15世紀)、家臣・坪正の佳作と伝えられる。
 

土肥 遠平(どひ とおひら)は、土肥実平の嫡男。平安時代後期から鎌倉時代にかけての武将、鎌倉幕府御家人。 小早川氏の祖。建久十年の頼朝逝去により仏門に入り道慶と号した。小田原城の元は、小早川遠平の居館であったとされる。

広間

 
客殿の30畳敷の広間。
 


こちらは、椅子席となっています。

客殿裏 庭園

 客殿裏の庭園は、古くから音に聞こえた枯山水の名園でした。それが故に大正2年に東宮裕仁親王・淳宮雍仁親王、両皇子殿下が御臨幸された折にも、この裏庭をゆっくりと御観照されたとのことです。
残念ながら、枯山水のその庭は関東大震災の際崩壊してしまい、現在は滝と流れ落ちる有水の池を中心に配した作庭となっています。毎年、啓蟄の当にその日に、この池めがけて裏山からヒキガエルが何十匹と蠢き出してまいります。