三十三観音像の整備完了

今から162年前の安政5年(1858)、コレラ禍が日本を襲い、当時の城堀村・門川村・吉浜村などでは村民の多くの命が奪われました。(余談ですが、感染源はペリー艦隊の一隻のミシシッピ号の乗務員とされ、江戸では3万人とも26万人ともいわれる死者が出て、その後3年間にわたって流行、その怨みが黒船や異国人に向けられ、攘夷思想が高まる一因となったといわれます。)
城願寺にある線彫りの三十三観音像は、まさにこの時に建てられたもので、「亡くなった家族の菩提を弔う為に」「村で亡くなっていた無縁仏に」「死者が迷わず極楽へ行けるように」という願いのもとに、多くの方々の寄進により建立されたものです。
「観音経」では、観世音菩薩が衆生を救うときに33の姿に変化すると説き、その功徳にあずかるために33の霊場を巡拝すれば、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生出来るとされる信仰も生まれました。
この度、改めて整備された境内の三十三観音像もまた、我が家の病死者の成仏を願うだけでなく、遠く西国に分布する33箇所の寺院を巡る体力も資金も無い者も、ここに建てる石像を拝み、名号を唱えることで等しく救われるようにとの、ご先祖方の切なる願いが込められたものでありましょう。

2020年5月20日